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中秋の季節 [ウォーキング瞑想]

《中秋の季節》

 5時半過ぎ、まだ薄暗いが、テニスコートは見える。一面、乾いた茶色の泥で覆われている。公園の面積を考えると多人数で臨まない限り清掃を終えるにはかなりの時間を要するだろうな。
 今朝はこれまでで一番冷えたかも知れない。長袖シャツを着ていたが北風も相まって寒さを感じた。
 いつものコースを歩くにはまだまだ時間がかかりそうだ。土手を歩いていると遠目にメタセコイアの並木が見えるが、その葉が茶色に見える。色づいているのだろうか。それとも薄暗い天気が目の錯覚を生んでいるのだろうか。しかし、やっとそんな季節になったんだと思う。
 テレビやネットなどの通信手段のなかった時代ならば、広い地域に渡ってあれだけ甚大な被害をもたらした台風だった、なんてことは気づきもしないでしょうね。近所では屋根瓦が飛ばされたなどと聞くが、まだまだかわいいものなのかも知れません。
 このところ悪天候で歩けない日もありましたが、不思議とそんな日は充実した一日を送れていないのではないかというような印象を持ちました。一日が始まるけじめとしてこの早朝ウォーキング瞑想はとても良いと実感が湧きます。
 どんよりと低く垂れ込めた雲の所為で、日の出の時間になってもあたりはまだ薄暗い。そうこうしている内に雨が降り出した。あともう少しの行程、静かに降り注ぐ中秋の雨。足早に家を目指して歩いた。


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 [ウォーキング瞑想]

《雨》

 今朝は出鼻をくじかれた。その兆候はあったのかどうか。ネットの天気予報では曇り。気温も涼しそう。準備を整えて家を出た途端、「アレッ?」雨だ。
 ウォーキング途中で降ってきたならば仕方がないが、今朝は歩かない。家の中にUターン。時間をピンポイントで眺めてみると、5月から歩き始めて本当に歩けなかったのは数回程度。朝という時間が安定しているからかどうかわかりませんが、歩ける可能性の強い時間帯なのでしょう。

 昨日『なつぞら』最終回を見ました。ネットの感想も息切れではというような印象を持たれた方もいらっしゃるようでしたが、私自身はそれとは別に子供の頃、「白蛇伝」などを観た記憶があります。素晴らしかった。
 奥山玲子さんは日本のアニメの草分けの一人として活躍されてきたのでしょう。その景色の美しさは、反面、その裏で大変な努力をしていたのですね。それと同時に、個人的には「白雪姫」など昔のディズニー漫画も素晴らしいと思います。
 しかし、最近のディズニーは立体的でよりリアルさを表現しようとしているのでしょうが、何故か好きになれません。かえって心は後ろ向きになっていくようです。立体アニメが良いのかどうかはわかりませんが、私にはそのキャラクターが合わないようです。

 これは私だけの問題でしょうから人様に同調して欲しいなどとは思いませんが、いつでしたか、『なつぞら』の中のシーンで坂場君がなつの「ソラ」という女の子の姿を初めて描いた場面で「そうではないです」と何度もダメ出しをした姿を思い出します。「アルプスの少女ハイジ」や「フランダースの犬」などに出てくる女の子の姿はほんとうに可愛らしく描かれています。

あれが日本人の感性なのでしょうか。

ほんとうにかわいい。





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新幹線がいつの間にか中国のものに [ウォーキング瞑想]

《新幹線がいつの間にか中国のものに》

 今朝、目を丸くして東の空を眺めたが月は見えなかった。今日が新月だったのか。

 かつて、扇千景さんが国土交通大臣だった頃、日本から中国に新幹線システムを輸出したくて、「高速鉄道を敷いてくれ」と懇願するようにお百度を踏んでいた。その後ろについていたのがJR東日本。JR東海は葛西さんが社長だったため、「そういうことはぜったいするな!」という意見で一切関わらなかった。

 結果はどうなった? 日本は中国が車両を買ってくれるかと思いきや初めだけ。中国は半端な技術を盗み、しかも彼ら独自の技術と言って世界に売り込みをかけている。それにより、日本が高速鉄道を売り込もうと思い、セールス展開しようとしても、どこに行っても中国に邪魔をされる。唯一売り込みに成功したのが台湾。ご存知の通り台湾は中国と敵対関係にある。

 ここに日本人の甘さと馬鹿さ加減がある。中国を信じていたのかしら?
 もしかしたら確信犯かも知れません。承知でやったのかも知れませんからね。中国が恐ろしくないと思っている人は尖閣諸島周辺の状況をもっと調べてみるといい。知らないということは怖いことです。





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風評被害と民主主義 [ウォーキング瞑想]

《風評被害と民主主義》

 今朝は気持ちよいほどに程々の風のお陰か涼しかった。薄雲の合間に見えた月がどんどん細くなり日ごとに東に傾いていく。もうすぐ新月だ。

 今年は天皇陛下が存命中にその皇位を譲るという、日本国の歴史の中でもあまり例がない事が起きた。上皇陛下も自身の体力を考えてのことでしょう。その責務を全うすることは大変なのだと思います。
 当時の皇太子殿下に一部を任せれば、という意見もあったけれどそれは現上皇陛下にとっては責任逃れと思ったのかも知れません。わかりませんが‥‥。

 上皇陛下がまだ天皇陛下であった今年の2月24日、政府主催で「天皇陛下御在位三十年記念式典」が開かれました。
 その時の天皇陛下のお言葉の中に心に染みるものがありました。

これまでの私の全ての仕事は、国の組織の同意と支持のもと、初めて行い得たものであり、私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに誇りと喜びを持つことのできる、この国の人々の存在と、過去から今に至る長い年月に日本人が作り上げてきた、この国のもつ民度のおかげでした。

感動しました。そんなふうに思って下さっていたのだと。

 今の世界では一応民主主義が一番ということになっている。共産主義や社会主義はもってのほか。資本主義もいけません。だいたいそういうことになっている。 現実がどうかはわかりませんが。

 あるひとが、「民主主義は他よりも少しは良い、という程度でたいしたものではない」と言っていた。 これを聞いた私は「なるほど」と思ったものです。

 現在民主主義を至高のものと考えている人はその考えを改めておいた方が良い。

 例えばお隣さんの大韓民国だ。ひらかれた民主主義の国だと思います。文在寅現大統領は朴槿恵前大統領が国民の蝋燭デモのせいで追い落とされた後に樹立した政権だ。あれほどギャーギャー騒いでいたのに蓋を開けてみればこの様だ。

 民主主義という言葉から出てくるものはその時々の民衆の意に沿うかどうかということ。これがポピュリズム政治です。政治家が大衆にこびへつらい、結果国を危うくする。
 この時に問題となるのがその国の民度です。可哀想な国民が多数である国は民主主義を突き進んだとき、国が傾く。
 民主主義が正常に働きうるのは実にその国の民度に関わってくるのです。民度とは国民の文化や生活レベルのことです。教養があるかないかにも大きく左右されます。

 天皇陛下のお言葉ので「私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは‥‥‥この国の人々の存在と、過去から今に至る長い年月に日本人が作り上げてきた、この国のもつ民度のおかげでした。」

 日本という国がかろうじてやっていけているのはまさしくこの国の民度のおかげだと私は思います。時々「安倍をたたき切れ!」などという物騒な物言いをしながらデモをする人々もいますが、サイレントマジョリティ、言葉には出さないけれど心の中で静かに祈っている人々が多いということを知るべきです。こういった人々こそが正気(狂気ではなく)の日本人なのだと思います。

 民主主義に代わる新しく、しかも崩れない思想が出てこない限り今の民主主義に国家運営を委ねるほかありません。
 私たちにとって一番重要なことは私たち自身の「民度」を上げる努力をすることだと思います。
 それにより、きっと明日の日本に光明が射すことでしょう。
 風評被害も民度の高い民族ならば決して広がることはないでしょう
風評被害を言いつのる人がいたら、その人の顔をよく眺めて反面教師とするが良いでしょう。




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彼岸花 [ウォーキング瞑想]

《彼岸花》

当初、暗闇のようなウォーキング瞑想をやるとは思わなかった。でも、苦しい訳ではありません。ただ、「暗いなあ」と思うだけの話。本当に早い早朝から一日を眺めると何故か心は浮き立つ。

夏の日の出は早い。出発時間を4時半と決めておくと秋になって朝が暗くなる。でも、歩いている人もいる。一日がまだ眠りについており、新聞屋さんとか少しの人が今日という一日の仕事を始めている。
今朝の空は厚い雲に覆われ明るさも中々訪れない。逆にいつもは点いていない街灯が数本、眩しい光を放っている。

それだけで何か気が滅入って心がざわつく。ラグビーワールドカップの時期だけだろうか。

気を取り直して歩いたけれど、今日は辺りをぼんやり眺めながら、思考も為すに任せておくことにした。道端に目をやると彼岸花が咲き始めていた。
そうか、あちらとこちら。昼と夜との時間が等しくなる。そんな境目を示しているのが彼岸花なのだろう。不思議な花だ。

陸上トラックに喩えると第四コーナーを回ったあたり、それでも明るさは余り感じなかった。
こんな日もある。




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藤城清治の影絵 [ウォーキング瞑想]

《藤城清治の影絵》

東の空には雲がなかった。かすかに明けの気配。そんな空を背景にした樹木がシルエットになって一幅の絵を見ているようだ。
時が経ちオレンジ色に染まった東の空に映る影は樹木だけでなく遠くに見えるビルの影や点滅する赤や青の信号さえ、藤城清治の影絵を見るようだ。こんな心を打つ光景は久し振りだ。

 大自然の見せる光景はこのように感動的な気持ちを呼び起こさせるようなものもあるのですね。

 しかし、先だって襲来した台風十五号の生々しい傷跡が未だに癒えない人も居る。布団屋さんのおじいさん。元気なんだけれど、店の屋根が飛ばされ青天井が見える。降った雨で商品の布団は全滅。また、綿の打ち直しをする機械も使い物にならなくなった。再建をするだけの元気はもうない。廃業の道しか残されていない。

 天災とは言えいったいどれだけの被害があったことだろう。場所が千葉だから、関東圏だからこうして手厚い取材の機会が与えられる。数ヶ月前の九州地方はどうだった?確かにこんなにひどい風はなかった。しかし、思いも及ばないような水害に見舞われた。

 日本という国は何という国だろう。心を癒やす美を与える反面叩きのめしさえする。同じ自然の為すわざとは云え、何という違い。竜巻突風洪水そして地震に津波に雷、火山噴火。どれをとっても人の命がかかってくる。復旧は確かにやるけれど、どうかして、少しでも軽減できる工夫はないものだろうか。もっと考える余地があるように思う。

 災害に見舞われていないうちにより多くの人智を集めて自然災害に巻き込まれにくいような社会をつくろう。

 風に強い家。地震に遭っても土台の揺るがない家。家を少しでも高いところに造る。低くても土盛りする。など、完全にはいかないでしょうが、そういった努力をする。これらは各人の自由というより、常日頃から政府や地方自治体が注意喚起する。

 報道機関は首都圏から遠くてももっときめ細かい取材を心掛けてほしい。今回の教訓から、樹木の管理はとても大切なことと思わされた。



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クールな日本のラグビーワールドカップ [ウォーキング瞑想]

《クールな日本のラグビーワールドカップ》
歩き始めて20分ほど経つと雨が降ってきた。
仕方なく雨宿り。
1時間ほど経ち、止んだ。
遅くなったけれど続きを始めた。
ウォーキングしている人、ジョギングしている人は誰もいない。
ただ、入ってはいけないところに釣り人だけはいつも通りいた。

今、日本でラグビーワールドカップが開催されている。私などは、若い頃から体格も体力もないし、到底近寄れないスポーツだった。
しかし、男の中の男と言おうか、京都市立伏見工業高校ラグビー部がモデルとなったスクールウォーズを観て心に火が点いた。
観戦しか出来ない私だが、ルールをもとに闘う姿は美しいと思う。大好きなスポーツの一つだ。

世界中が経済に苦しんでいるなか、日本はこうして計画されたお祭りとも言うべき国家的催しを淡々と成し遂げていくさまは本当に素晴らしい。国家に余裕があるのだ。

しかし、かたや社会保障で苦しんでいる姿は何なのだろう。
経済は生き物。確かに良いときがあれば悪い時もあろう。けれど、底力があればそれも乗り切れる。
資金ショートという言葉があるが、資金繰りに失敗した企業が例えば不渡り手形を出してしまったり、ということだがこれは底力のない証拠となる。

日本でまことしやかに述べられていることで二つの相反する意見がある。
即ち、日本政府は火の車。国債発行残高が一千兆円を超えている。どうする? というのがひとつ。
もう一方の意見は、全然平気だよ。という意見。なぜこうも違うのか。専門家ではない人々にとってまるでキツネにつままれたようだ。

では、いったい何が本当なのだろう。

それを知るためには会計学の財務諸表についての理解が必要になる。
理数系の人間にとってはややこしいかも知れません。

私がそうだった。
長くなるので、結論だけ言いましょう。

「危ない」といえば危ない。「大丈夫」といえば大丈夫、ということ。少なくとも資金ショートはしません。

借金は一千兆円あるかも知れませんが、資産もたくさんあるのです。
資産を減らさずに借金を返そうとするから大変なのです。

皆さん、個人の家単位で考えて見ましょう。

例えば、自宅の評価額が一千万円。そこに住んでいます。そして借金が一千万円。大変です。
毎年少しずつ借金を返していますが、もう一回借りたりしています。
そんな状態。
すぐには困りませんが、困る事態にならないとは言えません。
そういうなかで知恵を絞って解決しなければ「安心」は出来ません。

そういうことです。
日本国は現在「親方日の丸」でもなければ「打ち出の小槌」でもありません。それだけは事実です。

ウォーキング瞑想も終わりに近付いたころ、久し振りに東の空から昇ってくる朝日を見た。



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親日国トルコ [ウォーキング瞑想]

《親日国トルコ》

今日は下弦の月。まだ暗い南の空に輝いて見えた。

日本という国は馬鹿というか愚かというか、過去の大切な出来事を平気で消し去ろうとする。
ポーランドのこともそうだけれど、江戸から明治になりそれまで鎖国状態であった日本が外国との交流を進めるようになった。
その後の様々な心温まる話をどうして消し去ってしまったのだろう。

トルコが親日国であることは今では少しずつ理解されてきたでしょうが、それは明治二十三年(1890年)9月16日、トルコ(当時はオスマン帝国)の軍船エルトゥールル号が現在の和歌山県串本町沖で遭難したのを現地の人たちをも含めて手厚い救護の手を差し伸べたことによります。彼の国では今でも教科書にそのことを載せ、感謝の心を忘れないのです。

戦前(大東亜戦争前)には日本でもそういったことを教科書で教えていました。それが戦後すべて消し去られてしまいました。
戦前の日本が軍国主義のかたまりのように伝える為には不都合だったんでしょうね。

日本民族は昔から馬鹿正直で心優しい人々であった。これが私たちご先祖様のほんとうの姿です。それは今の私たちの身体を流れている血そのものです。

当初はGHQの指示であったと思いますが、彼らが去った後それを牽引していったのは日教組や共産党、社会主義者。

今、韓国で国を二分するような争いになっている渦中にある人間がチョ・ググ法務大臣。彼は自分が社会主義者であることを否定しません。
私は、音楽を通して人間というものを探求していますが、社会主義・共産主義は恐ろしい。中国や北朝鮮を見ればわかるでしょうが、それを実行に移そうとするために間違い無く恐怖政治をひくことでしょう。
だからこそ、敢えて彼らに異を唱えます。本当の自由を獲得したいのであれば、共産主義・社会主義から訣別せよ、と。

過去の日本の良さはまだまだたくさんあります。
思い出したらまたここでお伝えします。

ウォーキング瞑想も終わりに近付いたころ、路傍に咲いたコスモスの脇に何やら太さ5ミリくらいだろうか、長さ一尺ほどの茎が固まって伸びていた。
何だろうとよくよく近寄ってみると、上が少しばかりふくらんでいた。

彼岸花だ。
明日は彼岸。どうしてこの植物は時を知るのだろう。


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日本とポーランドとの関係 [ウォーキング瞑想]

《日本とポーランドとの関係》
そういえば今日からラグビーのワールドカップ。明けやらぬ競技場がやたらと明るい。運動公園はまだ夜なのに、まるで不夜城のように灯りが灯っていた。
しかし、運動公園のあちこちでは秋の虫たちの饗宴が続いていた。

偶然ユーチューブで、ポーランドがどうして親日なのかという映像を見た。日本から随分離れた所にあるスラブ系の国。
人様の動画なので簡単に説明させてもらいます。

それはロシア革命の頃に遡らなければわからない話だった。
帝政ロシアからポーランドの国を守るために蜂起していた活動家を当時のロシアはシベリアの地へと追いやった。そこは流刑地であった。過酷な労働をさせたことは大東亜戦争後のシベリア抑留を余儀なくされた日本人とも通じる。
但し、彼らは帰ることもままならなかった。
当時ウラジオストク在住ポーランド人たちが、「ポーランド救済委員会」を組織してせめて子供たちだけでも祖国へ送り返そうとしたかったのですが彼ら全員が流刑者であったためお金がありません。カンパをしてもお金が集まらなかった。そうこうする内にソ連とポーランドとの間で戦争が勃発した。これにより孤児たちをシベリア鉄道で送り返すことは不可能となった。欧米諸国に子供たち救済援助を働きかけたが断られてしまった。
この時国交のなかった日本にシベリア孤児の惨状を訴えて援助を懇請した。
当時国交が樹立されていない関係であったが、日赤を通してシベリア孤児の救済事業を行ったのです。
多くの日本人がこの事業に協力した。
そして、飢えて命さえも危なかった子供たちを救済して故国ボーランドに無事帰すことが出来た。
と、こんな話です。
観ていて涙が出るのを止めることが出来なかった。
大正時代の話です。
これからもずっとこんな日本であってほしいと思うのは私だけでしょうか。

今日からこのスタジアムでラグビーの試合が始まる。およそ一ヶ月間の祭典です。私は会場内に入ることはないと思いますが、選手の皆さん、良い試合をしてほしいと思います。


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これからもっと恐ろしい天災が起こるかも [ウォーキング瞑想]

《これからもっと恐ろしい天災が起こるかも》

天才ピアニストと言われている中国、福建省生まれの牛牛(にゅうにゅう)さんのピアノリサイタルを聴いた。
1997年7月11日生まれというからほんとうに若い。
聴いたのは、
 ショパン ピアノソナタ 第二番 四楽章のみ聴いた
 同じく スケルツォ 第三番
 リスト ウイーンの夜会 6番
正直、何が天才なのかわからなかった。難しい曲を弾くのが天才というなら、そういうピアニストは結構いるだろう。
でも、天才がそんなにたくさんいたら天才とは呼べなくなる。
演奏が得意だから大ピアニストだという訳ではありません。
それよりも遙かに大切なものが音楽にはあるんですね。
その中のほんの一部でもいいから気づいてください。

誰かは知らないが彼を担ぎ上げて宣伝した人がとても良くない。
もっともっと研鑽を積んでから出てきて欲しかった。

昨日のクラシック倶楽部が嬉しかったので、今日に期待をかけすぎた

。でも、これくらいが普通かも知れない。

あと、昨日でしたか東日本大震災の東電に対する責任問題についての東京地裁での判決。
全員無罪。
 それはないよな。津波が予見できたかどうかということが一つの判断材料だったのだろうか。幕末、明治からの歴史を見ても大津波は襲来している。これを予見不可能と見る方がよほどどうかしている。
第一、津波の起こる前に当時の筑波大学の先生が強く指摘していたではないですか。もっとも、その時点で擁壁防災工事を初めても間に合わなかったかも知れませんが、地下に設置されていた電源の移設は出来たでしょう。
 裁判官の見識を疑います。そんな判決でした。

いつ、どんな天災が襲ってくるかは誰も予測できませんね。
私も、ない知恵を絞って被害を最小限にするよう努めます。





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