親日国トルコ [ウォーキング瞑想]
《親日国トルコ》
今日は下弦の月。まだ暗い南の空に輝いて見えた。
日本という国は馬鹿というか愚かというか、過去の大切な出来事を平気で消し去ろうとする。
ポーランドのこともそうだけれど、江戸から明治になりそれまで鎖国状態であった日本が外国との交流を進めるようになった。
その後の様々な心温まる話をどうして消し去ってしまったのだろう。
トルコが親日国であることは今では少しずつ理解されてきたでしょうが、それは明治二十三年(1890年)9月16日、トルコ(当時はオスマン帝国)の軍船エルトゥールル号が現在の和歌山県串本町沖で遭難したのを現地の人たちをも含めて手厚い救護の手を差し伸べたことによります。彼の国では今でも教科書にそのことを載せ、感謝の心を忘れないのです。
戦前(大東亜戦争前)には日本でもそういったことを教科書で教えていました。それが戦後すべて消し去られてしまいました。
戦前の日本が軍国主義のかたまりのように伝える為には不都合だったんでしょうね。
日本民族は昔から馬鹿正直で心優しい人々であった。これが私たちご先祖様のほんとうの姿です。それは今の私たちの身体を流れている血そのものです。
当初はGHQの指示であったと思いますが、彼らが去った後それを牽引していったのは日教組や共産党、社会主義者。
今、韓国で国を二分するような争いになっている渦中にある人間がチョ・ググ法務大臣。彼は自分が社会主義者であることを否定しません。
私は、音楽を通して人間というものを探求していますが、社会主義・共産主義は恐ろしい。中国や北朝鮮を見ればわかるでしょうが、それを実行に移そうとするために間違い無く恐怖政治をひくことでしょう。
だからこそ、敢えて彼らに異を唱えます。本当の自由を獲得したいのであれば、共産主義・社会主義から訣別せよ、と。
過去の日本の良さはまだまだたくさんあります。
思い出したらまたここでお伝えします。
ウォーキング瞑想も終わりに近付いたころ、路傍に咲いたコスモスの脇に何やら太さ5ミリくらいだろうか、長さ一尺ほどの茎が固まって伸びていた。
何だろうとよくよく近寄ってみると、上が少しばかりふくらんでいた。
彼岸花だ。
何だろうとよくよく近寄ってみると、上が少しばかりふくらんでいた。
彼岸花だ。
明日は彼岸。どうしてこの植物は時を知るのだろう。
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